受講生の声

神奈川県  R.Mさんペットロス専門士養成コース(ベーシック)

どうしてグリーフケアスクール(専門士養成コース)に参加したいと思われましたか。
元々は自身が大切なペットの死へ向き合い方がわからず、またそんな中、祖父も亡くし仕事や生活していく上で、精神面で苦しくなった際にとにかくいろいろ調べた時に、”グリーフケア”の存在を知りました。
祖父については認知症を患っていたこともあり、思い出とのお別れのような部分は緩やかに迎えられてはいたものの、直前に自身のペットが亡くなり、心の支えを失った状態だったこともあり、喪失感が重なっておりました。
母もまた、喪失感に苦しんでおり、家族ともどもこのままではよくない方に進んでしまうかもしれないと思い、自身が変わるきっかけとして申し込みを決意いたしました。
参加してどのように感じましたか。心に残ったことを3つあげてください。
1敬話敬聴について
中でも、これまで、自身は話の聞き手に回ることが多かったのですが、「共感をせず、ただ聴く」と言う部分に驚きがあったと同時に、長年、共感してしまう癖がついていたため、難しく感じておりました。
ただ、やはり、グリーフを乗り越えるのはその方のペースであり、その方自身の力で哀しみに寄り添えるようになる他ありません。その方のその時々の局面、お気持ちを大切にしていきたいと思います。

2直子先生のお話
ご挨拶の際に、先生が講師になられたきっかけの中で、「もうペットを飼いたくないとなってしまうことが悲しい」、と伺いました。その言葉を伺って、私自身もすぐにはやはりお迎えはできないと思ったと同時に、「また、喪失感が待っている」と言う不安も感じました。哀しみとの共存の仕方がわからない方が多いからこそ、せっかくペットを飼える環境にあってもお迎えできない方も多いと思います。兼ねてから興味はあった動物保護の観点からも、グリーフケアができるかたが増えることで、苦しみから抜け出せない方々、そして、飼い主が見つからないペットたちの双方が幸せになる選択肢が増えるのではないか、と思いました。

3安楽死について
この講義の際は正直本当に辛かったです。また、実を言うと、コタローの49日前に母に合わせようと思い、分骨と一緒に、本家の青森に行った直後に受けたため、気持ちが切り替わった中、安楽死ではないもののコタローの死と重なる部分があったので、また講義で落ち込む...となっておりました。ただ、休む選択もできた中、参加したのは自分自身ですし、結果として参加したからこそ、再生の局面に近づけている...と思っていることもあり、より心に残っております。
コタローは亡くなる一ヶ月半前にもかなり具合が悪くなった時期があり、その際、病院で処方していただいた、お薬のおかげで延命できていました。ところが亡くなる一週間前ほどから、お薬を飲んでくれなくなりました。元々食べ物も飽きてくると食べない、しばらくあけると食べる...のような子でした。嫌がって口を頑なに開けないコタローに無理矢理薬を入れるのが辛くて最後の方、迷ってあげない日ができてしまいその間にみるみる弱っていき亡くなりました。
今でも自分の選択が正しかったかは分かりませんが、講座を受ける前はかなりこの点で落ち込んでいました。安楽死の講義後の宿題でその子らしさについて考えると言うものがあり、そこで紐解いていった際に自身の心のなかで少し区切りがつきました。長生きして欲しいのは人間のエゴでコタローらしく最後生きるという選択だったのかなと思えるようになりました。安楽死の体験をされた方のお話は本当にすごい方だなと今でも思います。

今回の学びをこれからどのように活かしたいですか
敬話敬聴のワークを自分自身で思った際に、講義で集まった方々とは異なり、グリーフケアの存在を知らない人たちだったと言う点で、改めて親しい仲だったのに、本人たちが望むような話の聴き方ができていなかったかもしれないと思いました。もちろん聴くばかりでは自分自身も疲れてしまうので、バランスは大事とは思いつつ、この姿勢を意識していきたいなと思いました。”話を聴く姿勢”の相槌の打ち方がどうしても共感になってしまいそうになるので回数を重ね、自然に話を聴けるようになりたいです。

また、上記の設問の回答2と重複してしまうのですが、何かしらの動物保護の場で活躍したいなと常々思っているので、機会があった際は、今回の経験を活かしていきたいなと思います。
まだ、誰かの話を聴くと、自身の話に重なる部分を感じて、涙してしまうことがあります。話を聞きたい、と思っていても、この状態では、話したい方の心が揺れてしまうと思うので、もう少し、哀しみを表に出過ぎないようにコントロールできた時、活動に取り組んでいきたいと思います。
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